救急科

今までの50年、これからの50年

新棟稼働に向けての何やらかんやら、

講義講演の何やらかんやらで

ブログが滞りすみません。

気付けば2022年も残り10日を切ってしまい、

ラストスパートでいくつかブログを投稿させてもらいます。

 

まずは10月の日本救急医学会総会・学術集会関連。

今更感ですが、やはり避けては通れません。

何たって第50回の記念すべき会でしたので。

そして桂ERCCM立ち上げの背中を押してくれた

恩師の一人でもあります杏林大学救急医学教授山口芳裕先生が

会長として開催された会でもあります。

 

記念すべき会というのもありますが、

医学会としてはかなり「異質」な会となりました。

パンフレット、参加証も何かのファッション関連のものかと思うくらい

お洒落な冊子となっていました。表紙と裏表紙の一部を載せておきます。

今までの50年を振り返りながら、

これからの50年を予測しながら、

救急医学を「リブランディング」していく、という試みです。

一般演題の発表はオンデマンドのみで、

現地は多くの異業種を交えたディスカッション、シンポジウムが

主体の企画内容となりました。

異業種、多職種との交流を好むTとしては、

非常に刺激的な試みの会となりました。

こんな挑戦的な会を開くために、

かなり入念な準備と調整が必要であったことを

ビシビシと体感出来ました。

改めて山口教授の凄さを実感しました。

 

 

救急医学は50年前に少しずつ医学として

体系的になっていった新しい分野ではありますが、

救急医療自体は医の原点でもあり、古くて新しい医学・医療です。

形を変えながら時代に合わせて
変化をしていかなければいけない医学・医療です。

 

Tも2015年に桂救急を立ち上げ、

桂病院の文化や体制を意識しながら、

少しずつ救急医療の形を変えていきました。

Tにとって救急医療とは、

時代・地域に合わせて柔軟に変化できる

急性期全般の医療と位置付けています。

当然全てを担うことは出来ないので、

その都度最適解のニーズを模索しながら、
できるものをピックアップして

変化して進んでいくことが大切と思っています。

 

研修医教育、多職種教育、ER体制構築から始めて、

少しずつ救急医療の文化を浸透させて、

入院診療も少しずつ担っていき、

いよいよ1月から新棟が稼動し、

本格的に重症管理を含めて集中治療も展開していきます。

新棟は少なくともこれから30年桂病院・地域の

超急性期の中心的な役割の一翼を担う使命があります。

こうじゃなきゃいけない、と決めつけたら

救急医療は廃れます。
こっちが提示するものと言うよりも、
このようなニーズがある、と考えて展開する医療だと思います。

柔軟な思想、姿勢でこれからも桂病院を盛り上げていきます。

 

視野を広げると、

京都桂病院も85年前に前身の松尾病院として創立され、

主に肺結核の診療、呼吸器外科を中心とした病院でした。

58年前に総合病院としての役割を担うために京都桂病院に改称し、

少しずつ今の形になっていきました。

 

50年前の桂病院を知る人たちで、

今の桂病院の形を想像できた人はどれくらいいるでしょうか?

そして桂病院の50年後は果たしてどんな姿になっているのでしょうか?

 

50年前に桂病院で働いていた医師は、今桂病院で働いていないように、

T達も50年先は働いていません。

しっかりと次世代、次々世代に前向きにバトンを渡せるように

桂ERxCCMは謙虚に献身的にこれからも走り続けます!



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